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境内イラストマップはこちら 寳登山神社境内における取材・撮影について
01現在の御社殿は弘化4年(1847)御本殿の再建工事が始まり、明治7年(1874)拝殿の完成をもってなる複合社殿(権現造)。この御社殿は当社別当であった玉泉寺住職榮乗が心血を注ぎ途中明治維新の大激動の時代を乗り切り再建されたもので、限られた御浄財により当初計画を変更しつつも彫り物を配し、動植物等を描く天井絵をも飾るなどしてあります。ちなみに榮乗は明治を迎えると還俗して神主の資格をとり、寳登山神社の初代神主となりました。平成21年、御鎮座1900年記念事業によって御社殿を飾る二四孝の欄間彫刻を始め軒下の組み物・小壁などに彩色を施し、緑の杜のなか、荘厳なたたずまいである。
02第十二代景行天皇の皇子日本武尊が神霊を祀った宝登山山頂のゆかりの地に鎮座しています。5月2日(八十八夜)、尊の登山に倣い神職氏子崇敬者は御供仕え、境内摂社日本武尊社から神輿をもって御神霊を奥宮にむかえ、奥宮祭が行われます。社前では神楽や奉納演武が催され神人共にこの日を祝い楽しみます。この祭りは山頂に咲くツツジから「ツツジ祭り」とも称され、秩父地方の農作業開始の目安ともなる日です。
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たくさんの神様がひと所にまつられています。御祭神は、
明治時代まで、藤谷淵村(現在の長瀞町長瀞)の各所にあった8社の神社を,この地に遷座しておまつりしたためです。2月と10月の18日には春秋の祭りが、7月20日には八坂様の祭りが行われます。
05神楽の本義は「神座」(かみくら)を設け、神を招き慰める為に舞楽を奏すことをいい、神楽殿には「神人和楽」の額を掛け、その本義を伝えます。例祭4月3日の他、歳旦祭1月1日、節分2月節分に奉奏されます。秩父地方には6系統の神楽があり、当社は秩父神社系を継承し町指定の文化財になっています。秩父系統の大きな特徴は舞の多くが神話を基づく黙劇で、神代神楽とも呼ばれます。また、神座が舞台奥の中央に設えられ、湯立神楽の要素(煮えたぎる湯を笹葉で周囲に振りかけ祓い浄める天鈿女命の舞)を有することから正面の欄干に羽釜を必ずつるし下げます。
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07昭和天皇のご成婚を奉祝し、大正13年(1924)氏子の青年団が植えた黒松・赤松です。現在長瀞町指定の自然記念物で、樹木の傍らに「皇太子殿下ご成婚奉祝唱歌」碑が建っています。
昭和天皇香淳皇后のお仲睦まじく御長寿のお姿が偲ばれます。相共に寄り添う樹の姿から、また松の葉は枝を離れるまで共に一緒の姿から、「相共に長寿を願い、より良き縁が得られますよう」と願う御守あるいは相生の絵馬をお分かちいたします。
08-2伊勢の神宮大麻をはじめ、神社神札、家内安全、商売繁盛、火防盗賊除の神札参拝者の願いに応じた神札、お守りなどを授与する所です。係(神職)がお問い合わせに応じますので、お気軽にご相談の上、それぞれお心にあわせお受け下さい。
08永久元年(1113)の開基と伝え、地蔵菩薩を安置してます。神仏分離の後は別当を廃しましたが真言宗智山派に属しながら、神社とともに今に至ります。
今の社殿再建に尽力した榮乗が住職を務めた寺で、彼は寺の寺格を高めるためにも奮闘し、京都御室御所(仁和寺)と院下格の関係を結び菊紋の使用を許されるようになりました。
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11日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰途、山ろくの泉で「みそぎ」をされ、ホド山に登られたと伝えられます。この泉は「玉の泉」とも称し、往時をしのぶよすがとしています。
15神詣でのエチケット。「うがい手水(ちょうず)に身を清め」といい、手・口をすすぎ清め、「洗心」と掲げます様に心も浄め、神前では二拝二拍手一拝し、心静かな参拝を心がけます。
神社百科「ご参拝の手引き」